2020年御翼4月号その3

         

礼拝は、人生のリハーサル ―― J・E・バークハート

 米国で、車に貼るステッカーで〝Christians aren’t perfect, just forgiven〟(クリスチャンは完璧ではない。赦されているだけだ)というのがあった。これに一番近いと思い浮かんだのが、相田 みつをの「つまずいたっていいじゃないか 人間だもの」である。これらは、失敗した人を励ますのにはよいが、この類(たぐい)の標語が病院やクリニックの入り口に掲げられていたら、患者は逃げて行くであろう。
 イエス様の尊い犠牲によって罪赦され、神に愛されている。それならば、その愛に応えるように、最善を尽くそう、というのが真に赦された者の特徴である。そして、赦されるのであるから、苦難や失敗があっても、前を向いて歩いていけるのがクリスチャンである。
 人生で最善を尽くすために有効な手段が礼拝出席である。礼拝には、「認識」「人生のリハーサル」「宣教」という三つの次元があると、長老派の米国マコーミック神学校のバークハート教授は言う。
① 「認識」とは、神が愛と正義と恵みに満ちた方であると認識し、受け入れることである。神に向かって自分自身を開放し、神が自分を新たに変容させて下さる現実を喜んで受け入れるのだ。
② 「リハーサル」では、登場人物の性格づけを明確にし、セリフを覚え、役柄をこなせるよう繰り返し演じる。礼拝は、神の子となるための練習、リハーサルなのだ。
③ 礼拝がキリスト者の生活のモデルとなるとき、即ち、礼拝が「認識」と「リハーサル」の場となるとき、キリスト者が隣人と社会に対して何を成すべきかが自(おの)ずから明らかになる。それが「宣教」となるのだ。     
J・E・バークハート『礼拝とは何か』より

 「リハーサルに参加する」ということは、具体的には、セリフを覚え、登場人物の性格づけをはっきりさせること、役柄をこなせるように、いくつかの場面を繰り返し演じてみること、などである。礼拝とは、出席者が、讃美や祈り、証し、聖書からのメッセージと実例に触れて、キリスト者のライフスタイルを練習する場、「リハーサル(下稽古(したげいこ))」の場なのだ。
リハーサルなしの人生は悲惨である。性の問題、異性との付き合い方や結婚などに、全くリハーサルなしで臨(のぞ)むならば、悲劇が待っている。礼拝で、聖書講話の中で触れる実例を通して、私たちは人類が犯してきた様々な過ちを知ることができる。あらかじめ、性の秩序、結婚のあり方の訓練ができるのだ。また礼拝において、私たちの魂が神からの夢、理想、願望で満たされることで、人生のリハーサル(本舞台へ上(のぼ)せる前の予習)ができる。
 佐々木満男先生は、「人生とは、イエスを証しするための壮大な『ノンフィクション映画』です」と言う。「問題なんか笑い飛ばして堂々としていようとか、監督であるあなたの神とよく打ち合わせをしながらやるのです。へまをした時は、そのへまが映画の大切な一場面である。自分を悲劇の主人公にするか、それとも喜劇の主人公にするか、それはあなたが決めることです。あなたはまさに、神と一緒に作る『あなた』というイエスの証人の、壮大な『ノンフィクション映画』の主役なのです」と。その「映画」を素晴らしいものとするには、監督である神の下での「リハーサル」、即ち礼拝が必要不可欠なのだ。 
 問題を笑い飛ばして堂々としていれば、免疫性を高めるエンドルフィンが分泌される。笑っている時以外にも、目標を達成したり、夢が叶った瞬間、成長を実感した時、あるいは、「強い信念を抱く状態」「褒(ほ)められる」「心がときめく」ときなど脳内ではエンドルフィンが作られるという。(入浴や食事、特にチョコレートや血糖値を上げやすい糖質の含まれる食品は、エンドルフィンが出る。)

 クリスチャン医師・ハロルド・ケーニッヒは、ストレスを抑制するために、以下のように言う。
○社会と良い関係を保つ   

○否定的で不条理な発想をなくす
○可能発想を実践する  

○整理された暮らし  

○飲酒・喫煙を控える  

○十分な休息  

○楽しくて過酷さを要求されない趣味を持つ   

○定期的な運動   

○リラクゼーション  

○祈りの生活を発展させる
これらは、クリスチャンの信仰生活・教会生活と重なる。それはストレスを軽減することにもなり、免疫を高めるのだ。


 御翼一覧  HOME